パーソナリティ障害の私が社会復帰するまで 最終話

■認められた 

震災復興として、養殖カキの出荷作業をやってみないか?」 

不必要な人間として見られてきたものが、必要だと言われることに喜びを覚えたのを記憶しています。 5カ月くらいの期間でしたが、働けることの喜び、他者から認められる喜び、顔も知らないお客様への感謝の思いなど、有意義なものと感じることが出来た それは今まで体験したことのないような出来事が続いた日々だった 

養殖カキの出荷作業が終了し、新たな目標を立てることになった時に、区役所から障害福祉サービス受給者証」を取得し就労移行支援という福祉サービスへの通所を勧められた。 また自信を取り戻しつつあったので一人暮らしを始めることに。 

その通所先ではいろいろな刺激を受けました。一番はアンガーマネジメント、怒りに対する対処法。瞬間湯沸かし器みたいだった私が、日々過ごすことによって変化していくのが自分でも分かった その間にも財団から依頼があれば養殖カキ出荷に通うこともあった。 私以上の重い障害を抱えていても社会復帰したいという思いを持った人や社会復帰は諦めたけど小遣い稼ぎの人、学校になじめなくて参加している若年層との交流などが記憶に残っている。 就労移行支援に通所し始めてから1年10カ月。 60社くらい応募をしましたが、箸にも棒にも引っかかることは出来なかった。まだまだ世界は精神障害者には厳しい現実があることを痛感したりもした。 世の中では精神に障害を持つ者は突然何をしてくるのか分からないといった偏見があるように感じていた 

 

 

それでもあきらめずに就職活動をしていたのはある約束があったから。 亡くなった彼女の私の事を忘れないで」の一言だけが私を生かしている原動力だと思います。 

他にも障害が病気ではなく、ただの個性なのだという事を自分で理解しましたどんなに望んでも願ったとしても、他の誰かにはなれないし過去を変えることも出来ない。今を受け入れる事、認める事でしか変わる方法はないと思います。自分を認める事が出来た時に初めて他者を認められるようになり、他者からも認められるようになると私は考えています。 

通所期間途中に不幸にも交通事故に遭遇してしまいその期間内に就職することは叶いませんでした。しかし人生にとって必要な物を得ています。 

「私の事を忘れないで」というたった1つの言葉があったから前に進むことが出来た、そして障害を通して私という人間を知ってもらいたい」という思いを持つことができました。養殖カキの出荷の時も就労移行支援の通所中にも障害のある私を認めてもらえた事が何より自分にとって大切なことであり支えになったと思います。幼少期の虐待に始まった私の人生ですが、後悔はいっぱいあります。しかし納得もしています。それがなければ今の支援者としての私はありませんから。 

 

続く就職活動の日々 

交通事故の影響でこれまでの経験を活かせる職に就けない事を身を持って知った時に、「これからはどんな仕事が出来るだろう?」そして「今まで支援してもらった分を他の誰かに」と自分の中で変化していったのです。ある日世話人の求人を発見。少し距離があるが動かないで考えるより、動いてから考えるといった思考に切り替わっていたので見学に応募をしました。それが今の職場、障害者グループホームとの出会いです。 精神障害者の私が障害者の方々の面倒を見るといった矛盾を抱えながらもいつ面接になってもいいように履歴書と職務経歴書を準備して行きました。ダメで元々の精神で自分の障害を開示して面接を受けた。採用の話を頂いた時は、認めてくれたことに感謝の気持ちがありました。 

そして給与が生活保護の上限を上回りついに生活保護が廃止になりました実に10年以上の生活保護生活からの脱却です 

 

 

その後1度精神的不穏状態に陥って、睡眠が2時間弱の状態になりまたダメになりかけ辞めようと思いましたが何とか思い留まることができ、現在も仕事を続けている状況です。 

まだまだダメで失敗が多いですが、失敗の数だけ成長できるという思いを持って仕事を続けていきます 

 

生意気かもしれませんが私は、 

他の人と違うことは決して間違いじゃない。自分は障害者だから、、は全て只の言い訳であるやらない事をごまかす為の言葉である 

障害があるから、健常者にはわからない。健常者同士でも他人の事は最後の最後まで分からない。分かろうとすることはできるけれど、本当の事は誰にも分からない 

という思いを持って日々生きています。 

 

■最後に、、、障害や悩みを抱えている人たちに 

障害者=社会的弱者。本当にそうでしょうか?ハンデキャップを持っていても活躍している人たちはたくさんいます。人生は他人のための戦いではなく、自分のための戦いです。 

私にとってこの障害はハンデキャップではありませんこれが私の人生ですから。貧乏で虐待のある家庭が私にとっては普通だったその環境で心が壊れてしまったこともこの障害も私にとっては当たり前の普通の事なのですから。健常者から見れば「障害者なのにスゴイね」と言う人もいます。でもそれはその人にとっての当たり前なのです。1人1人考え方が違うのは当たり前です。全てあるがままを受け入れる事が大切かと思います。“ナイものはナイ”ねだるのをやめましょう 

悩みは悩み続け、考え続ける事が大切かもしれません。今日出た答えが正しいとは限りません。明日になれば違う答えになり今日出た答えが間違っているかもしれません。“変わり続けることが大切だと私は思います。悩みのない人生はつまらないものだとも思います。悩み続け、考え続けて、あがき続けてください。その先にきっと光が見えるはずだから  

障害があるからできないのではなく“障害があっても出来る”に変えていきましょう。障害をやらないことの理由付けにしないでください。それはとても悲しいことですから。勇気を持って一歩踏み出しましょう。誰かがあなたを必要としています。私にあったようにあなたにもそんな出会いがあると私は信じています 

虐待や障害に失望し、絶望することもあるかもしれません。しかし、最後に辿り着くのは希望であると私は信じているから。 

 

 

この文章を作るのに、自分の過去と向き合う日が続いていましたいつかは向き合わなければならない時が来るとは思っていましたが、このチャンスを頂けたことに感謝します。 

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